葬式しない墓もいらない主義の、Sバードです。
この記事では
を、痛快にぶった切ります。
1.ムダな葬式と墓に踊らされる人たち
世の中は、無駄な葬式と墓に踊らされる人たちで溢れています。



お布施に何十万?



戯言聞きに、大金の無駄遣いに、偶像礼拝。
とんでもない“悪趣味”ですよね。
ほら、釈迦も嘆いていますよ。

釈迦が葬式や墓のために教えを説いたことなど、一度もありません。
にもかかわらず、葬式法事の際にしか必要とされない「葬式仏教」という既得権益を、坊主たちが独占享受してきました。
無駄な葬式と墓に踊らされている人たちには、以下のような特徴があります。
- 昔からの習慣だから、何も言わずに従っている。
(=主体性の欠如) - 葬式や墓はお金をかけるものだと、盲信している。
(=情弱) - 葬式をあげなかったことによって、変な目で見られたり不利益を被ったりしたくない。
(=同調圧力)
「主体性の欠如」「情弱」「同調圧力」が、一体何のメリットをもたらすというのでしょうか?
思考停止もいいところ。

2.葬式や墓はいらないと気づいた人たち
- 坊主や業者にぼったくられ、
- 通夜に告別式と同じことを2度も行い、
- みんなで集まってヘコヘコし、
- おまけに帰らぬ人の「家」まで建てる始末。
「そんな無駄な葬式や墓はいらない」
と、ごく当たり前のことに気づく人が、近年では増えてきています。
「ゼロ葬[1]」や「墓じまい」が流行っているように、世の中では、無駄な葬式や墓を無くす動きが加速しています。
そりゃそうですよね。
わざわざお金と時間をかけて「無駄な儀式」をする意味なんてないし、「無用な白骨物体」を残しておく必要もないし、管理コストを浪費する「廃塔」を建てる意味もないですからね。

亡き人を身近に感じていたいのであれば、Amazonで数千円で買える「コンパクト仏壇」を部屋の隅に置いておくか、スマホに「仏壇アプリ」を入れておけばいいんです。
よ。さようならー!
3.もっと自由に生きればいい
葬式と墓をボロクソに批判してきましたが、私が言いたいのは
この一言に尽きます。
違和感を抱きながらも嫌々やっている日本人、多いですよね。
「くだらない常識」に囚われているうちに、人生は“あっという間”に終わってしまいます。
嫌ならやらなければいいし、他人の目なんか気にする必要はないんです。
シンプルでしょ!
「自由に生きる人」が増えることを、期待しています。
\ こちらの記事もオススメです /